日本史探偵団文庫『元帥公爵大山巖』 序文 口絵 |
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原本と字詰めが変わるため、ノンブル(頁番号)は日本史探偵団文庫版と原本とで異なる。 ノンブルは序文から凡例まででいったん終わり、次に入る口絵頁にはノンブルがない。そして、あらためて第一章から1頁目のノンブルが入っている。 日本史探偵団文庫も同様に序文のノンブルは通算しないことにした。 |
序 明治三十七八年戰役三十周年を迎ふるに方り、大山公爵は、先考元帥を追懷して維新前後に於ける活躍、或は各戰役に至大の關係を有する事跡等を記念する爲一の傳記を編纂せんとし、予に委員長たるを囑せらる。予は元帥の參謀總長たりし時より、日露戰役を通じ、戰役後に至るまで、永き間元帥副官の職を兼ね、常に元帥の下に勤務し、其の間少からざる知遇を受けたりし關係上、欣然此の依囑を諾し、後に記する諸氏の甚大なる努力の下に、短少なる時日を以て、此の編纂を完うし得たるは、欣幸とする所なり。 元帥の謙虚、寡黙、宏量大度の人格者たりしことは、世人已に知る所、而して其の維新前夜に於て、國事に奔走せられし事跡、殊に炯眼を國防上に注がれ、幾度か歐洲の土を踏み、我が軍制の基礎的施設に盡痒せられしことの偉大なる功績も、亦た世人の周く知る所なり。予は多年親しく元帥の身邊に服務せしも、未だ嘗て此等の事項に就き、其の功名談を聽きしことなし。今日此の傳記編纂に方り、諸種の資料、往復書類、及び自筆の日誌等を披き、更に益々元帥の人格及び其の功績の偉大なるに感服驚嘆を禁ずる能はざるものあり。從來予の接近せし元勲の人少しとせず、孰れも皆功績一世を蓋ふものありと雖、更に元帥に至りては、其の雄才大略、諸多の元勲に超越するものありて、而かも敢て其の功を語らず、謙譲の徳、人をして仰望せしむるものあり。是れ元帥の人格偉大にして、元勲間に一種の重きを爲したる所以なり。若し夫れ國家重大案件にして、元勲間互に相容れざるものあるに |
本書のほかにも大山巌に関連する書籍の刊行が計画されたとされるが、実現していない。 この後、大山邸は戦災により全焼し、日記や書簡も国会図書館、憲政資料館など公的機関に寄託したものを除き焼失した。 愛用の遺品は陸上自衛隊宇都宮駐屯地の郷土資料館で保存されている。 |
際しては、多くの場合、元帥之が調停をなし、國事の解決を見たるも亦た故なしとせず。嗚呼元帥の功績中には、實に隱れたる偉勲の數多存するあるを思はざる可らず。 本書は元帥の性格に鑑み、文筆の潤色、事實の誇張を避けたると、且つ編纂時日の短少なりしとに依り、或は修辞の不備なるものあるべしと雖、要は元帥の經歴と之に伴へる幾多の史實、若くは晩年の大成を致さしめたる起因等に關し、努めて現實率直に記述したり。而して此の編纂に方りては、外は宮内陸軍諸官衙、満鐵、島津公爵家、及び其の他公私の厚情翼賛に依るもの多く、内は猪谷宗五郎氏が多年苦心努力の下に夥多の資料を蒐集せられ、及び副委員長二宮中將が日夜勉励せられしこと、竝に中村徳五郎氏、伊東正弼少將、藤田清氏、山縣砲兵大佐、沢邊復正氏、及び其の他諸氏の熱心なる執筆に依り、僅々百十數日間に此の編纂を完成せしことを附記し、懇ろに感謝の意を表す。尚元帥自筆の日記、自叙傳、往復書簡、其の他幾多資料の公爵家に所藏せらるゝものは、更に逐次公刊し、將來本傳亦た補修大成せられんとす。 竝に聊か傳記編纂の經過趣旨及び所感を記して序となす。 昭和十年二月 大山元帥傳編纂委員長 陸軍大將 尾野實信識 |
口語文体の採用は、大山家の後嗣となった柏(元帥の次男)の嗜好によるものと思われる。 | 凡例七則 一、本書の編纂は編年體に據る。但し特殊の問題は紀事本末體に從ふ。全編皆口語文體を用ふ。 一、敬稱は概ね之を省く。 一、本書は元帥公爵大山巌と題し書中の稱呼は元帥を以て一貫す。 一、本書の綱目は章を以て之を分つ。但し必要に應じ項を立て更に細目を設く。 一、口繪十六葉は元帥の生涯を通じ特に記念とすべきものを掲げ別に八葉を特別圖版として巻中に收む。戰闘に關する地圖は巻末附圖の名を以て別帙とし讀者の便に供ふ。 挿圖百十四葉は記事に應じ之を序次す。 一、引用書目は特別必要を認むるの外總て之を略す。 一、書中暦日の詳細は其の煩を避け之を別冊年表に譲る |
元帥遺墨 |
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淀城附近富ノ森薩藩二番砲隊 |
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元帥宛 西郷隆盛書簡 |
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いわゆる弥助砲 (上) 十二斤綫臼砲 (下) 長四斤山砲 |
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欧州留学時代の元帥 |
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(上)元帥宛 西郷隆盛書簡 (下)元帥宛 伊藤博文書簡 複写画像は中央部が一部写らなかったが原本保護のため御容赦いただきたい |
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明治十年役後の肖像 |
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陸軍大臣時代 |
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明治二十三年大山邸 御臨幸記念 |
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雪の進軍 |
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日露役奉天入城 明治神宮絵画館に現存 |
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満州軍総司令部宇品港凱旋 |
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大正天皇即位記念 |
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最後の写真 |
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元帥銅像 はじめ三宅坂に建てられた。太平洋戦争に際して金属供出のため「出征」することとなり、撤去されたが、 なぜか東京芸術大学の構内で放置されていた。現在は北の丸公園前の通り沿いに再建されている。 |
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